ちくわの歴史について解説 ちくわの原型となったものとは?
ちくわの歴史や産地について
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そのままかぶりついてもよし、おでんや磯部揚げなどに調理して食べてもよしのちくわですが、皆さんはちくわの歴史や産地についてどれくらい知っていますか?日本の国民食といっても過言ではないちくわの歴史は古く、その起源を探るには今から1700年ほど前までさかのぼらなければなりません。果たしてちくわはどのようにして誕生し、日本全国に広まっていったのでしょうか?今回はちくわの歴史について、産地の解説も交えながらお話していきます。
目次
ちくわの原型は蒲鉾?
ちくわの原型が蒲鉾であるという説は本当です。ちくわの歴史を語るには今から約1700年前、神功皇后の時代にまでさかのぼらなければなりません。その当時九州の小倉付近を訪れた神功皇后が魚のすり身を鉾の先に付け、焼いて食べたという伝説があります。この食べ物がガマの穂によく似ていたことから「蒲の穂」「蒲鉾」と転じていって、現在の蒲鉾が生まれたといわれています。時代をさかのぼり江戸時代になると、この蒲鉾の切り口が「竹の輪」に似ていることから「竹輪」と名を変え、世間に広まっていったそうです。
蒲鉾からちくわへ
蒲鉾からちくわへと名前を変えていったのには、幕末の武士と商人との関係性が大きく関与しています。幕末の下級武士は困窮し、以前食べられていた蒲鉾も満足に手に入れられないようなほどの生活ぶりになっていました。一方商人は裕福になり、蒲鉾をはじめ、贅沢な食べ物を毎日のように食していました。これを見た下級武士たちは「下級人の分際で蒲鉾を食べるとは何事か」と、商人たちをののしるようになります。武士たちの冷たい視線を何とか交わしながらも蒲鉾を食す方法がないかと考えた結果、切り口が竹の輪に似ている蒲鉾を「竹輪」という隠語を付けて呼ぶようになりました。この隠語が定着し、真ん中に穴の開いたものを「ちくわ」板にのせて蒸したものを「蒲鉾」と呼ぶようになったといわれています。
ちくわの名産地は?
ちくわの名産地は全国各地にありますが、魚をすり身にして作るからか、やはり漁港がある街がちくわを名産品として扱っていることが多いです。具体的に見ていきましょう。
愛知県豊橋市
愛知県豊橋市の名産品として名高いのが「ヤマサのちくわ」です。その歴史は古く、今から200年ほど前、創業者である佐藤善作氏が四国の金毘羅参りで見つけた土産品のちくわを元に製造を始めた、といわれています。ヤマサのちくわは原料にハモやグチ、エソなどの高級魚を使用しており、上品な味わいから愛知県を代表する土産品として全国各地にその名を轟かせています。
徳島県
徳島県の名産品といえば、小松島市の「竹ちくわ」ではないでしょうか。竹に付いたままのちくわに醤油やすだちをかけてかぶりつくスタイルが人気を博しています。竹ちくわの歴史は古く、平安時代には地元の漁夫たちの間で食されていたという記録も残っています。
青森県
美味しい魚介類が豊富に集まる青森県青森市では「牡丹ちくわ」が有名です。焼目が牡丹のような模様になることから、この名前が付いたとされています。「牡丹焼」と呼ばれる独特な手法でじっくり焼かれたその身は驚くほどふっくらもちもちで、お土産品としても人気が高い一品です。
ちくわの歴史や産地を知ろう
現代において料理に、おつまみにと多くの家庭で食されているちくわですが、その歴史は古く、原点が蒲鉾であったことも今ではあまり知られていません。普段何気なく食しているちくわの起源を改めて知り、その時代や名産地などに思いをはせながら改めて食すと、また一味違った味わいが楽しめますよ。
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