讃岐うどんの歴史・起源の諸説を集めました
讃岐うどんの歴史と起源
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県民一人あたりのうどん消費量が全国1位であり、「うどん県」とも呼ばれる香川県。そんな香川のうどんは「讃岐うどん」と呼ばれ、全国的に親しまれています。しかし、「讃岐うどん」の歴史についてはそこまで広まっておらず、知らないという方が多いのではないでしょうか?この記事では、讃岐うどんの歴史と起源について、様々な説を紹介します。興味のある方はぜひ読んでみてください。
目次
「うどん」の誕生は中国?
そもそも、「うどん」の起源は中国ではないかと言われています。小麦の栽培は紀元前七千年頃にメソポタミアで始まり、小麦を粉にする技術と共に中国に伝わり、そこで麺の元となる料理ができたと考えられているのです。そのため、パスタの起源も中国であるという説もあります。イタリアに伝わりパスタとして進化し、日本ではうどんとして進化したというわけです。うどんの元になったものの説としては、団子菓子の「混飩(こんとん)」や、ワンタンの「餛飩(コントン)」などが言い伝えられています。
讃岐うどんは空海が起源?
讃岐うどんの産地である香川県は、日本で最初にうどんが伝わったとされる地のひとつです。香川県の他には、福岡県の博多という説もよく知られています。そして、中国から香川県にうどんを持ち帰ったのは、香川県(旧・讃岐国)出身である弘法大師・空海ではないかと言い伝えられています。空海は延暦804年に遣唐使として中国へ渡り、806年に帰国しました。このとき、うどんの元となる小麦または団子状の菓子を持ち帰ったと言われているのです。
長いうどんが生まれたのは江戸時代
空海の時代(平安時代)のうどんは、まだ麺状ではなく団子をつぶして薄く延ばしたものでした。最も古いうどんの資料は、1700年頃に描かれた「金毘羅祭礼図」の屏風絵。ここに、三軒のうどん屋が描かれています。つまり、江戸時代から讃岐うどん屋さんが存在していたと考えられ、うどんが今のように長い姿になったのは江戸時代初期前後ではないかと言われているのです。江戸時代には「うどん」のほかに「うんどん」や「うんとん」とも呼ばれており、江戸時代に描かれた浮世絵に「うんとん」の文字があることも。明治時代の辞書『言海』には「うどんはうんどんの略」と記載されています。
「こんぴら参り」で有名になった?
「さぬきのこんぴらさん」の呼び名で知られる、香川県仲多度郡琴平町の神社「金刀比羅宮」。江戸時代には「こんぴら参り」といって、ここを訪れるのがブームになりました。当時のこんぴら参りは「こんぴら街道」を通って向かうのが主流であり、そのこんぴら街道には多くのうどん屋さんがあったと言われています。つまり、ここを訪れてうどんを食べた人が、その美味しさを地元で伝えたことで、うどんが全国へ広まって行ったのではないかと言われているのです。
大阪万博で全国に広まったという説も
1970年頃、讃岐うどんの第一次ブームが起きました。これは、1970年(昭和45年)に開催された大阪万博が火付け役だったと言われています。大阪万博では、讃岐うどんのブースで手打ち実演販売が行われ、コシの強いなめらかな麺を初めて味わい、その美味しさに驚いた人が多かったのです。その後、2000年代に入ると香川県のうどん屋チェーン店である「はなまるうどん」などが東京進出し始めます。また、「丸亀製麺」は香川県発の店ではないものの、香川出身の父を持つ創業者が「讃岐うどんを広めたい」と発案し、現在では全47都道府県に出店しています。
讃岐うどんの歴史・起源には諸説あり
讃岐うどんの歴史・起源を紹介しました。讃岐うどんの歴史ははっきりとは分かっておらず、様々な言い伝えがあるものの、どの説も興味深いものばかりです。当店のうどんは讃岐うどんではありませんが、独自の製法で拘りぬいたうどんを提供しています。お立ち寄りの際にはご賞味ください。
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